小林リキ活動報告

蕨市で活躍する全力の男・ 小林リキの活動をお伝えするブログです。

2011年12月

昨晩から日光にいます。

娘は紅白を見つつ宿題を
していましたがそのうち
寝てしまいました。

日光の夜空は、最近の蕨では
まず見ることの出来ないくらい
数多の星々が煌めいています。

今年の漢字一文字は【絆】
糸偏に半ばと書いて
どこまで行っても道半ばであり
切れないモノが絆だと
昔聞いたことはあります。

私の今年の1年を顧みて
私自身の漢字一文字は何か?と
考えました。

色々な漢字が思い浮かびましたが
【省】にしました。

振り返ってよく考えてみる。
「省察/三省・自省・内省・反省」

この漢字一文字【省】は来るべき
来年に向けても肝に命じます。

そんなことを考えていたら
平成23年、2011年も、あと1時間。
これからお焚き上げに向かいます。

亡き友の墓参。
以前から思っていた事でした。

実のところ、年内は無理かな、と
思っていたのですが
友人のお陰様で今日に至りました。
なんとも不思議な縁でした。

他界したのはもう27年前。

成人式(地元では成年式と言う)の5日後、
二十歳でこの世を去りました。

当時を思い出すとなんとも言えない
気持ちになります。

毎年命日には西川口に仲間と集まって
故人を偲び最後に事故現場にお線香を
上げて午前0時頃、三々五々に別れ
帰路に就きます。

確か、三回忌くらいまではお墓に来ていたと
記憶しています。

お墓に着いてお花とお線香を買いました。
墓守さんでしょうか、念のためお墓の位置を
確認するために訪ねてみました。

返事は『すみませんが判りません。どうしても
不明な時はお寺に聞いて下さい』との事。

確かにそうだな、と思うくらい大きなお墓です。
まずは記憶を頼りにお墓の通路に足を踏み入れました。

友からの事前情報もあり、なんとかお墓に着きました。

あれから27年・・・
彼は20歳のままですが
私たち同級生は47歳になりました。

『あの世で再会する時あいつは20歳で
コッチはおじいさんじゃずるいな』
なんて冗句を言いつつ
墓石を拭きお線香を上げながら献花。

故人の誕生日が数日前だったからか、
まだ枯れ切っていないお花が供えられていました。

合掌の後、しばらく墓前で友と話をしました。

そして来た通路を戻ると向こうから
先ほどの墓守さんが歩いて来ました。

墓守さん;『お墓、判りましたか?』
  私  ;『なんとか着きました(^^)』
墓守さん;『心配で来てみたのですがよかったです。』

なんとも暖かいお気遣いまで頂き、
亡き友のお墓を後にしました。
【安らかに・・・】
CA3I0002 (4)

今年も残すところあと3日です。

今日は予定通り、プチ大掃除をしました。

大掃除なのにプチという表現なのは
私が子供の頃の大掃除は
家族全員がものすごい勢いで、
というより、まち全体がものすごい勢いで
自分の家のClean upをした記憶があるからで
あの昭和の、年末の、大イベントに敬意を表して、です。

私が子どもの頃、大掃除を迎えると両親の顔が
変わったのを覚えています。

大掃除とはただの根本的清掃作業と云う
意味ではなく日本人の信仰心
【煤払い=すすはらい】と云う
年中行事が発祥で、大掃除をいわゆる
清掃作業のみとは捉えていなかったのだと
知るのはもっと大人になってからでした。

それなりにプチ大掃除を終えました。

�\依�とは;取捨選択(※3R)すること。
�∪案椶箸蓮┐修慮紊棒阿┐襪海函�

以上、2つを念頭に作業しました。

しかしどこまで行っても終わる
気配がないので良い加減で納めました。
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少しですが・・・なんだか達成感もあり、さっぱりしました。

今、コーヒーを飲んでこのブログを打っています。

今年1年を振り返って・・・
私の人生にとって大きな分岐点があった年でした。

過去(歴史)を参考にする事は肝要です。
そこには未来へのヒント、或いは回答が
すべて記させているからです。

しかし過去に拘ってはいけない。
それは慢心と心労が嵩むだけでしょうから。

PCのデスクトップには【ごみ箱】があります。

自分のアタマの中の不要なファイルやフォルダを
Clean upするのは大事かもしれません。

今日は市役所今年最後の日。

各部局の皆さんを廻ると
やはり忙しそうでした。

数名の議員と控え室で
夕刻を迎えた頃、
庁内放送がありました。

〜市長の年末の挨拶があるので
職員は業務の支障にならぬよう
午後4時に4階に参集下さい〜
だいたいこのような挨拶でした。

私たちのすぐ脇にある4階委員会室は
4時に近づくに連れ多くの職員が集まり、
そのうち市長の挨拶が聞こえてきて
15分程度で終了したようです。

なんとなく市役所は1年が終わるのかな?
と思っていたので『こういう形で終わるのだ』と
いう事が判りました。

そして、市役所内の市議会議員の立場、
存在意義というのも再認識した出来事でした。

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夜は
【消防歳末特別警戒及び市長巡視】に
消防委員として出席しました。

出席者;市長・消防委員・消防長・消防団長・副団長・団本部員
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19:45集合
20:00出発
第4分団→段3分団→第6分団→第5分団→
→第1分団&塚越分署→第2分団→

最後に消防本部に戻り、消防職員&消防団に
市長から挨拶があり、終了しました。

     ◆昨年との比較◆
    【今 年】  ・  【昨 年】
火災  29件    ・   18件
救急 3547件  ・  3349件
救助  70件   ・   55件

全体的に増加。
3・11の事もあるので一概に言えませんが
火災は更に一人ひとりが注意すべきだと
思いつつ消防署をあとにしました。
DSC_0124-

9:00AM市役所へ。

新年が明けて1月に発行される
会派の機関紙『新生会ニュース』の原稿を作成。

午後から後援会ニュースの配布をしました。

夜は魚亀さんで開催された
田中良生前代議士と会派新生会の懇談会に出席。
須賀たかし県議も同席しました。

国政・県政・市政を取り巻く環境について意見交換し
その中で、よりよいくにづくり、地域づくりを推進しよう!と
懇談会を締めました。

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その後、気の置けない友人達と合流。

『人間の根本的な精神構造って何歳から変わらないだろう?』

という問いに、答えは『小学3〜4年生くらいじゃない?』との
結論に達し、『ちびまるこちゃんは偉大だ!』と別れました。

今夜は青年会議所(以下JC)の仲間と
近所の焼肉屋さん『森田家』で懇談。

今年の卒業生を祝う意味で集りました。

メンバーをぐるり見ると
それぞれの時代のJCを
中心で担ったメンバーばかり。

お酒の席で色々な意見交換をしました。

その中でふっと自問自答で思い出したこと・・・

私はなぜ今、ここで、
このように存在しているのか。

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私は高校を中退して家業の
水道屋に入りました。
16歳でした。

当時は『自分が一人前』と思っていました。

今考えると自分がいっぱしの
大人だと誤認してる少年だったのでしょう。

そう思えた原因はきっと、工事現場に行けば
それなりに労働が出来て、その対価として
それなりの賃金を貰えていたからかも知れません。

真夏の炎天下、土木作業。
真冬の寒空で、漏水修理。

大好きな仕事でした。

しかし一つだけマイナスの気持ちがありました。

通りすがりの親子連れから聞こえた言葉。

『勉強しないとああいう仕事するようになっちゃうよ』

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仕事に貴賎はない。そんな事は綺麗事でしょう。
もしそれが全く存在しないなら就職率は
もっと上昇するはずです。
それは今の私が思う事です。
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このまちで、この仕事で頑張るしかない!

心のどこかで、仮想の【誰か】を見返そうと
努力していた十代の自分がいたような気がします。

矢沢永吉の『成り上がり』を読み、士気を高め

二十歳で聴いた浜田省吾の【MONEY】はバブル
(その頃バブルなどとは思わなかった好景気)
で『この腕1本で成り上がってやる!』と真剣に
思う気持ちを後押ししてくれました。

仕事は敢えて正確に書けば『掃いて捨てるほど』あり
昼間と夜間の工事を毎日睡眠時間4時間でこなしました。

ここまで書くと・・・
どこまで続くかわからないので今日はもうやめます。
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1995年30歳。複雑な思いで、JCに入会。
作業着で例会に来る茶髪の土木作業員に数人の
先輩たちが声をかけてくれたことを覚えています。

誰一人として将来私が理事長になるとは
思っていなかったでしょう。

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私を変えた事件は1995年、
JC入会と同時に発生した【阪神・淡路大震災】でした。

あの各地の、仮設住宅の、皆さんの、
多くの涙が物質的に『成り上がる』ことの
無意味さを私に教えてくれました。

そしてもう一つ。
私を変えてくれたものは
好き放題言いたいことを言って
勝手に行動する私を応援してくれた
JCの先輩たちです。

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今日、先輩が1人、後輩が7人そして私。

今日改めて判ったこと。
後輩から教えてもらったことも多かったのだな・・・

〜我思う、ゆえに我あり〜デカルト

トシ、卒業おめでとう。
そしてみんな、ありがとうございました。

今朝、蕨から日光へ出発。

今日26日は亡き義父の月命日。

家内と2人で墓参に向かいました。

蕨と家内の実家日光(旧今市市)は
気温が通年で7度〜8度低いです。

夏は凌ぎやすく、冬は寒いです。

墓参をしてまた、蕨に戻りました。

帰りは数日前から日光に来ていた
娘も一緒です。

義母に見送られつつ蕨への帰路に着きました。
【お墓の標語。まさにそのとおり】
。CA3I0007 (3)


朝起きると家内と2人だけの
クリスマスの1日が始まりました。

私は所用があり、家内も出かけました。

夕刻から2人は合流して外食に出かけました。

久々に2人だけの夕食。
それなりに会話をして帰宅しました。

何気ない1日を過ごしました。

家内と夫婦でよかったと思えた今日でした。

クリスマスイブの夜は2001年から毎年
蕨福音自由教会に行っています。

2001年の10月に生まれた娘と3人で、です。

2001年の生後2か月の娘は
バスケットに入って教会にいました。
会う方会う方に『飼い葉桶のみどり児みたい』と
言われたのを覚えています。
2002年、娘1歳2ヶ月
2003年、娘2歳2ヶ月
それからも毎年、イブの夜は家族3人で教会でした。

そして今年10歳2ヶ月の娘はいません。

私たちと離れて家内の実家である
栃木県日光市にいます。

今年は家内と初めて2人で
イブに教会に来ました。

娘は成長しました。

私たち夫婦は少し複雑です。

これからは2人の時間が増えるかも知れません。

とても厳かなイブでした。

【ツリーの下には手作りの馬小屋が】
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【馬小屋のアップ。ポインセチアも綺麗です】
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【飼い葉桶のみどり児。娘たち4年生が作りました】
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尊敬する先輩からお話を頂き
午後2時から蕨市立文化ホールくるるで開催された
【鈴の音語りライブ2011クリスマス・スペシャル】
に伺いました。

ハープと気品ある音色と美声ソプラノ、
そして表現力溢れる語り手の妙。

素敵なひとときを過ごせました。

ハープでのクリスマスソングメドレー
アメージンググレースやアヴェ・マリアの歌。
【語りと歌、演奏の模様】
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その後に語ってもらったお話
〜誰が鐘を鳴らしたか(レイモンド・M・オールデン)〜
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昔ある王国に大きな立派な教会があった。

そびえ立つ塔には鐘があったが、
鳴るのを聞いた人が居なかった。

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村はずれに住む少年兄弟が
その教会のクリスマスイヴの礼拝に向かった。

途中雪の中に倒れている女性を救うために
兄が残り、幼い弟に献金を託した。
『今日のために大事に貯めた銀貨なんだ。
誰にも見られないようにそっと祭壇に置いておくれ』と
兄は弟に伝えた。

教会では、金持ち、学者、王様などが
立派な捧げ物をしたが、鐘は鳴らなかった。

その後、かすかに、しかし、はっきりと、
チャイムの音が響いた。

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祭壇の前には、兄から頼まれた一枚の銀貨を
気付かないようにそっと置いた弟の姿があった。

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この話は・・・最近涙腺がちょっと・・・

清々しい気持ちで【くるる】を後にしました。
【情報ネットワークステーションのツリー】
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