小林リキ活動報告

蕨市で活躍する全力の男・ 小林リキの活動をお伝えするブログです。

2014年01月

朝は郷土かるた大会が開催される
南小学校へ地元の子ども会育成会
会長として伺いました。

教育まちづくり常任委員長故か、
お気遣い頂き、登壇までさせて致しました。
お気遣いして頂いた関係各位に感謝致します。

我が子ども会からも数名出場しており、
個人的に心の中で「がんばって!」と
応援しました。

午後からは東公民館で開催された
こどもミュージカル「ラビコ」の公演に
伺いました。

実は昨年、私は感動し、娘に勧めました。
そして今日の舞台に娘は立っています。

1年目ゆえ、主役級の役柄など出来る訳もなく
しかし、それでも素敵な役柄を頂きました。

約80分の公演。小さなスターたちの演技を
堪能しました。

やはり娘を眼で追ってしまいますね。親バカです(-_-;)

2回公演の両方を観たのも、まさに「そのもの」ズバリかな・・・
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夜は毎年恒例の友の命日に
事故現場、西川口に集まる会合に合流。

今年で30回目。集まった当時二十歳の青年たちも
すっかりおっさんです。

居酒屋で数時間・・・悲喜こもごも、色々な話をしました。
友とはなんたるか・・・
それは只、人生の時間・空間を共有したのではなく
人生での歴史や同じ価値観を共有した者たちなのだろうと
たわいない会話の中で実感じました。

最後は電柱にお線香を供え・・・

集まった友は互いに背中を向け
「じゃまた」と三々五々。

何気にスマホを見るとLINEに
同級生の女子からコメント。
「新聞見ました。がんばって下さい」

亡き友よ、
人生と云う逝くまで続くドラマの
1ページは今日も終わったよ。
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西川口から自宅まで約徒歩20分。
寒さではなく色々な意味での感謝が
沁(し)みました。

今日、成年式に参加しました。

多くの二十歳が集う中で
ひときわ目立つ青年がいました。

彼は最前列の恩師に挨拶に向かい
頭を下げていました。

問題児・不良少年など、その成長の過程で
或る意味、特殊な多くの体験をした青年も
すっかり大人です。

もし「大人」が「子ども」の或る一部分だけを切り取って
公然と批判的に言及すればそれは不道徳でしょう。
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壇上には私の知る限り、30年以上前の
当時の学校問題に真正面に取り組まわれた
元中学の先生がいました。

色々あり、何とも感慨深い式典でした。
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もうすぐ命日。
二十歳で去った友は写真立ての中で
いつまでも二十歳のままです。

イベントであやつり人形の獅子舞を観ました。

まさに名人芸!海外のそれとは似て非なる
その造作は日本の誇れる文化でしょう。

多くの糸1本1本を緻密且つ正確に操る事で
人形に命が吹き込まれます。

それは人間の「こころ=黒子」と「からだ=人形」に
置き換えられるのではないか?と感じました。

さらにシンプルに、さらに大胆に、さらに思慮深く・・・

自らの糸を自ら縦横無尽に操れる人間は
まさに心技体の一致でしょう。

「こころ」と「からだ」
それがもし一致しないとすれば
それは広義での「我儘」だと云う事も
改めて理解しました。

地方議員である私ではありますが
地方議員である前に男であり、
男である前に人間です。

地に足の着いた行動。

それは自分以外の「こころ」を慮れる事を
「からだ」で覚えなければ践めない領域だとも
あやつり人形から学びました。
【生きているような獅子舞】
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新年会、賀詞交歓会、また行き交う道で
多くの皆様と新年のご挨拶をさせて頂いている
毎日です

挨拶とは「禅問答で相手の悟りが如何か調べる事」と
いう意味もあるそうです。
「悟り」とは「気づき」とも言い換えられるでしょう。

万物の個々の状況は常に変動し、
或るモノ(者)にとってベストな存在は
別の或るモノ(者)にはバッドな存在である場合もしばしば。
だからこそ平常心での「気づき」は肝要です。

今日も多くの方とご挨拶しました。
ありがとうございました。

そして今日、こんな言葉に出逢いました。
『まさにその通り!』と心から思いました。

感謝です。
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新年明けましておめでとうございます。
旧年中は多くの皆様にお世話になりました。
本年も引き続きよろしくお願い致します。

実は先月後半からfacebookも含めて
しばらく書き込みをしておらず
「筆を置く」状態でした。

一言で言えば『書きたくなかった』のですが
その主たる理由も、一言で言えばその意義を
疑ってしまったからかも知れません。

トンネルを抜けたが故にこのブログを
書いているわけですが・・・

キーボード(筆)を今日持とうと思った
きっかけが2つありました。

娘が生まれてから12年、毎年お正月は
家内の実家、日光で過ごしていましたが
今年は蕨で年を越しました。

自宅でゆっくりと・・・
しかし2日の深夜、母が倒れ、救急車で運ばれました。
母と同乗した救急車で私も「死」を意識しました。
酸素マスクの母を見おろしつつ子供の頃の思い出が
フラッシュバックしました。
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その後、意識が回復した母自身も『これで死ぬのかなぁ』と
消えゆく意識の中で自らの「死」と向かい合ったとの事でした。

今、母は回復に向かっています〜「死生観」と云うのは心に効きます。

もう一つは・・・一昨日或る店舗で財布を落としました。
駐車場に落ちていたそうです。
そして今、何事もなく私の手元にあります。

駐車場で拾った方が店舗に届けて
名前も言わず立ち去ったそうです。

落とした財布がそのままの状態で
戻って来るのは日本だけだと聞いたことがあります。
真偽は判りませんが日本人の気質は世界に誇れる
と私は心から思います〜「感謝」と云うのは心に響きます。

振り返れば結果的に・・・消去法で導くと
在り得ない事、怒りを禁じ得ない事に
複数出くわした事が文章を
記したくなくなった理由だったようです。

「死生観」と「感謝」
年の初めにこの二つを胸に抱いて小林リキ、始動!です。

改めまして、
今年もよろしくお願い致します。

PS、注連縄を見て「禍福は糾える縄の如し」を
連想した元日の蕨神社でした。
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